ネットプライスが赤字 あんなに持ち上げられてただけにショッキングだ
梅田望夫さんの話を聞く会というのが恵比寿あってその時に会場を提供してくれたのがネットプライス社だった。
ネットプライス社についてはじめて話を聞いたのは、相磯先生の別荘に遊びにいったときにカネコ先生のお嬢さんのお店で食事をしていた時だった。
「カガヤ君、チビギャザって知ってますか?」
「いや知らないですなんですか?」
「あのね、君らの後輩がやっている会社なんだけれど。そこがギャザリング(共同購入で購入者が増えるにつれてディスカウントされていく)というのをやっていて、それのケータイ版のサービスでこの間、慶応のベンチャー関連の賞を受賞したんだよ。」
「へー。知らないですねーどんな感じなんですか?」
「なんでもこれは売れないだろうと思ってスイカを500個売ってみたら数時間で完売したといっていたよ」
スゴイなあと感心はしたのだが実際にサイトをみてみると僕は買いそうにない商品が並んでおり、誰が買うんだろうとかなり不思議だったのを覚えている。まあ、ケータイの着メロや着歌にしても誰が買っているのかいまだにイメージがわかないわけで、どんなものでも買う人は案外といるものなのだろう。
僕たちが中学生の頃、ジャンプを買うと一番後ろのページに通販のページがあって(いま思えばパチ物な商品がダーッと羅列されているだけなのだが)何故かそのいい加減さが魅力的でこりもせずに幾度も買っていた。
ネットプライスのギャザリングで扱っている商品もあの質感が微妙にかぶる。
ジャパネットや深夜の通販もほとんどパチ物なんだけれど魅力的に見えてしまう瞬間があり、実際、かなりの数が売れるのだからギャザリングも同じようなものでリーチが大きければそれに応じた割合で売れていくのだろう。僕は深夜の通販もギャザリングもジャパネットも買わないので頭ではわかっていてもまだピンときてないのだが。
ああいう商売は楽しくて仕方ないだろうな。
「俄マーケティング」(とってつけたという意味ではなく、極めてイノキイズムなノリという意味である)な印象である。
僕らも開発してみようかしら。
表題に話を戻すと隆盛を極めていたかのような印象を受けていたネットプライスもこうして数値をみてみると赤字なわけで、ギャザリングという購買プロセスが飽きられたのかそれとも商品とニーズがズレてしまったのか。記事をみるとアパレル系商品の仕入れミスというような書かれ方だったがその程度のリスクは計算済みなはずでヘッジしてると思うからやっぱり共同購入というUSP自体が廃れてきたんじゃないのかな、と思ってしまう。
買い物もエンターテイメントなわけで新しい買い物のスタイルってそろそろ提示してもいいかもしれないな。
例えば水商売とかキャバクラなモードみたいな無形のプロセスを含んだ価値が求められているように思うのだよね。
価格とは違う部分に人が意味を感じ、納得し、満足を得るというようなそういうプロセスを内包した商品のあり方をプロデュースしていかないと商品が同じである以上、価格の違いだけなら、カカクコムかアマゾンによってあらゆる店舗やプロセスがフラット化されてしまうわけだし。
これは何もモノに限った話ではなくコンテンツも全く同じで、ソフトの価値もコンテクストによって大きく変動する。
こういうのをうまくソーシャルなパワーとリンクさせてソフトがその価値を最大化させるようなサービスというのをライトなサービスとして立ち上げられないものだろうか。
今日は多摩美からの帰り道はそのことばかり考えていたのであった。
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