吉永小百合

NHKのドキュメントを視聴した。

吉永小百合は今年62歳。
彼女には子供がいない。
女優であることと母親であることを両立することは自分には困難であると判断したからだそうである。

番組は吉永小百合と母親の確執をベースに吉永小百合の軌跡をたどっていく。
12歳で女優を目指した彼女は国民的俳優となるも28歳で15歳年上の岡田太郎氏(現共同テレビ会長)と結婚。
しかしその結婚は家族に祝われることなく、知人宅で行われた。

立派でもうまくはいかないものなのか。
理由をしばらく考えた。

若かりし頃の吉永小百合の映像をきちんとみたのは初めてであった。
しばらくして、オードリー・ヘップバーンの姿が頭をよぎった。
(今週から豊洲で「ローマの休日」が上映されている)

映画「母べえ」の撮影現場で子役の女の子が現場に到着した吉永小百合に駆け寄っていくシーンがあった。

映画のシーンではないがあのシーンが全編で一番良かった。

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先日、「ミッドナイトイーグル」を観た。
小説を読んでいたのでどのように映像化されたが気になっていた。
脚本は変えられていたが内容はおおむね原作通りであった。

日本の映画をみていてどうしても気に入らない点がある。
重要な場面、おそらく1秒が惜しいであろう場面で必ず「まったり」とした浪花節的シーンが入る。これによって流れが断絶され感覚が醒めていく。

この映画でも同じ構造が観られた。
これがなければな、と思った。

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一度、構築されてしまったイメージはそれが強烈である場合、ニューロフィードバックによって、乖離、同期が加速される。
その結果がの是非は別の問題である。
重要なのはフィードバックがかかるという点である。

恐竜の絶滅原因は長所の拡大による種の存続が理由だった、と言われている。(15年くらい前にクライトンが熱く語っていた)

説明を省略する。

時間軸を視野にいれてニューロフィードバック効果について考察する場合、有効さをつくりだす鍵は「デリート」にあるのではないかというのが僕の考えである。

私見だが、これは個人の行動に限らず、企業、組織、社会についてもあてはまる。
僕がいうデリートとは現行のルールからのスパイラルアップやスコピックの転換をイメージしている。

ニューロフィードバックを認識のモニターとして利用することで視点のスケールを高次に上げていく、そんな戦略があるのではないかと僕は思うのである。

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