NHK プロフェッショナル 仕事の流儀「イチロースペシャル」
NHKプロフェッショナル 仕事の流儀、2008年第一回放送はイチロー・スペシャルであった。
番組の本筋とは関係ないのだがイチローのビジュアルと話し方が髙田延彦のそれと重なってしまい頭の片隅でこの二者の意味が交互に浮上し、難儀した。
番組はこれまでにみたイチローを主題としたドキュメントとは全くことなるモードを醸し出していた。
私生活のシーンではイチローの声は甲高くなる。
大したことではないのなぜか強く記憶に粘っている。
プロを感じさせるシーンや言葉は幾つかあったのだが僕が一番怖さを感じたのは私生活であった。
私生活とプロとしての生活があるべき陰陽とは逆になっていることに驚きを隠せなかった。
そして、なるほど、と納得した。
全てのアスリートにあてはまるのだろうけれどプロアスリートの宿命なのだろう。
彼は7年間、朝食兼昼食として同じ味のカレーを食べ続けているのだがそれに怖さやすごさを感じたわけではない。
そこではなく完全に逆転しているあることについて怖さを感じたのである。
例えば、残りの人生が50年あるとしてそのうちの45年を「チカーノ」(KEI)な日々を送るかわりに残りの5年は超人にしてあげよう、と言われて
「OK、やります」
と言ってしまう怖さである。
「チカーノ」(KEI)の内容はこうだ。
日本人のヤクザが米国でオトリ捜査にあい、半ば不当逮捕に近いカタチで収獄され、命を削る10年を過ごした記録である。
この本、作品としては最高に面白い本である。
けれど一読すれば絶対にこのようなシチュエーションには陥りたくないと願うに違いない。
それほどまでに壮絶である。
にもかかわらず、この悪魔の選択を受け入れてしまう怖さといったらいいのだろうか。
番組で放送された映像群はいたって普通なイチローの私生活を映していたが、そこからにじみ出る狂気の片鱗に僕は怖さを感じた。
マンガ「鋼の錬金術師」の設定ではないが正直なところ「等価交換」という言葉がグルグルと頭をよぎった。
この種の選択の機会を持ち、そして選択してしまう人は現代の日本ではものすごく少ないと思う。
「Devil’s Advocate」とイニシエーションパワー
な世界をかいま見た。
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