「瓜田純士」氏のブログが面白い

前田日明が企画したTHE OUTSIDERというイベントがある。
イベントの企画コンセプトは単純明快だ。
プロの格闘家ではなく全国の「生きる伝説」な不良たちを集め試合をさせるというもの。

生きる伝説は伊達ではなく各選手のコピーは秀逸である。
一部を紹介すると、

■都会に放たれたヒューマンハンター vs フルボッコ製造機
▼橋本朝人 vs 稲田豊

など引き込まれるコピーが多い。
「フルボッコ製造機」というコピーには拍手を送りたい。

それぞれの選手が背負っている伝説的エピソードも面白いのだが中でもセミファイナルに出場した「瓜田純士」氏の伝説は群を抜いている。

wikipeidaの記述をみると

ブラックエンペラーの総長を父に持ち、アウトローや黒人のブラザーを率いて多国籍セキュリティ組織 「供攻社」を 設立。『歌舞伎町私設防力団』として連載劇画化されるなど強烈な印象を受ける。L.M.S(レジェンドオブマイノリティサポーター)代表として、苛め・自殺・薬・差別などで苦しむ人々の相談に乗り、その相談料のほとんどをユニセフやストリートチルドレン・被災地に寄付している。

とのことである。

試合の模様はオンラインでも一部観ることができる。

しかし、今日取り上げたいのは試合の話ではない。
瓜田純士氏のブログの話である。

カクトウログに瓜田純士氏と前田日明氏とのラジオ番組についてのエントリーがあった。
このレポートを読んで瓜田純士氏とは何者なのか興味を持った。
1日に20万アクセスを集めるブログを運営しているとのことだった。

冒頭から驚いた。
彼はいまタイにいるのだ。
しかも「これはATGの映画か何かか?」と思わせるような記述である。
破滅的なシーンが続く。

気になったのでブログ開設時期から読み返してみた。
すると現在の文体、フォーマットとは全く違うきわめてしっかりと書かれた文章が綴られていた。

エピソードが面白いので引き込まれてしまい、ついつい読み進んでいくうちに文章の変化に気づいた。
初期のエントリーの多くは過去を回想して書かれている。
ところが最近のエントリーのほとんどがリアルタイムな出来事で、執筆はケータイを用いているとのことであった。

おそらくこうした文体やフォーマットを「文章」として論じることに意味はない。
別種のメディアとしてとらえ直す方がしっくりくる。

書籍、紙媒体への掲載が前提として記述される文章は紙という物質に固定される時点で完成する。
ところがウェブの媒体、特にケータイによって電子的な存在として記述された文章は言葉そのものの中に「ゆらぎ」を内包する。
これが固定ともフローとも違う微妙なリアルタイム性を感じさせる。

アウトサイダー出場日のエントリー以降、瓜田純士氏のブログのここ2ヶ月くらいの記述には何かしら「流れていく時間」の感覚を感じた。

まだ全体を読み終えていないが彼のブログで一番面白かったのは下記のエントリーである。

パニックルーム(渋谷)

このエントリーも非常に映像的である。
構成がいい。

ショートプロットにすると「生きる伝説とも言われるアウトローがおそるおそるマンガ喫茶にいくがドアがロックされ閉じ込められるドタバタ劇」とでもなろうだろうか。

天性のものなのかもしれないがきちんと3幕構成になっていてテンポがいい。

ケータイ小説に関しては様々な議論がなされている。
現行の作品の多くは抽象度が低く、深みがない、かと思う。

が、瓜田純士氏のブログを読んでいたら、

「この面白さってチャットっぽいな」

と思った。

テキスト自体の文学性や内容の深度を問うような文章の読み方ではなく「リアルタイム性」「映像性」「距離感」「パーソナライズ」に注目してみるとそこにはデジタルテキスト以前には存在しなかった「面白さ」があるのだと思った。

(手紙もパーソナル化されたテキストだがそれがパブリックにされることはないのでこれまではなかった感覚なのではないかと思う。投稿は匿名で相手を映像化してリアルに感じるということがない)

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