TKM Report vol.24 「崖の上のポニョ」と目の存在と夕方

NHKプロフェッショナルの宮崎駿特集で草案をみていらい心待ちにしていた「崖の上のポニョ」が今日7月19日から公開である。

日中をさけ、先ほど、深夜の回に足をはこんだ。
今回はCGはなし。
全て手描きのアニメーションとのことだった。
前半のアニメーションの躍動感は素晴らしかった。

特に「命の水」のシーンは凄まじいテンポだった。
特に何を考えるでもなく観ていたのだが、水に目玉が加えられることで海水が異物に変わることに恐れを感じた。

「目」の存在は事物の意味を変えてしまう。

アニメーションの持つ意味変換機能といったらいいだろうか、あるべきでないところに「生物的」な要素が突然生じるとそこに恐れを感じてしまう。

(「目」で思い出したが、主人公のポニョは「金魚」ではなく「人面魚」である。普通に考えればかなり面妖な存在だ。しかし、劇中では「人面魚」を目にしても誰も驚かない。これも大いなる謎の一つである)

映画の内容についてはネットでも賛否がわかれている。
大別すると前半のファンタジーな展開については手描きの柔らかさと躍動感もあって、概ね良好な反応。

しかし、後半の謎に関しては「意味不明」の評が多い。

では僕はどう思ったのか?

見終わった直後は「物足りない」と感じた。
しかし、すっきりしない何かが残っていた。
その何かについて考えながら映画館のエレベータに乗った。
帰り道。
解決されずに終わった「謎」について反芻していた。
月夜を自転車で月島に戻った。

橋の上で釣りをしているオジサンがいた。
映画館に向かう時にも彼をみかけた。
フッコ(スズキ)をヒットさせ取り込んでいるところだった。
いまは、橋の上で2匹目の獲物を取り込んでいた。

ポニョの謎についてだが、例えば

「ソウスケ(主人公)の家の結界を張ったのは誰か?」

これは作品中では明らかにされていない。
この謎にもおそらく答えはないのだろう。

僕はソウスケの母、リサがもともとは海の人で彼女が結界を張ったのだ、と思ってみていたがそれも定かではない。

作品は観た人の数だけ解釈が存在する。
よって観た人がどう感じたかが大事だ。
正解を探すために観るわけではない。

作品を観たり、読むことで、興味を持ち、他者の解釈を知りたいと思ったなら他者の解釈を読めばいいし、著者の創作プロセスを知りたいと思ったなら調べてみればいい。

自分の感じた意味と他者の解釈が違っていてもどちらかが間違っているわけではない。
この場合「正解」であることは重要ではない。
どう読んだか、どう観たかが大事だ。

というわけで「崖の上のポニョ」についても

「カワイイ」と思ったらそれでいいし、「つまらない」と思ったらそれでいい。

そこで僕が劇中で一番良かったシーンについてメモしておく。
派手なシーンも良かったし、ポニョの表情も良かったが僕が一番印象に残っているのは最初にソウスケが家についたシーンである。

派手な運転でリサが山道を駆け上がり、家の駐車場に車をとめる。
家についたのは夕方だろうか。
崖、というよりも、丘だが、丘の上の家の夕方にどうしようもなくいやされた。
できることならこういう家のこういう夕方を過ごしたい、そう思った。

ポニョともストーリーとも全く違うが僕が一番心ひかれたのはそんなシーンだった。

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