人知のおよばぬ

ことがこの世界にはあるものだなあと雑感。

比べて日々の物事のなんと些事なことよ。

笑ってしまうくらい世界のかなりは「俄」である。

特に人のやることはあれもこれもそれもどれも。

人は総じて自分の尺度に他者を押し込めようとすることで安定へと向かおうとあがくけれどそのアプローチそのものが違和であることを知るべきだ。

能力をドライブさせるためには「圧力」を使うのも一つのやり方だ。しかし、それが必ずしもベストではない。常にそれを考えるべきである。楽しさを入り口にしても忘我には達するし、圧力でも忘我には届く。であれば、圧力を効果的にハイブリッドした楽しさや、儚さから転じる切なさや優しさからも、ルートはあるわけで、自分の場合は掘り下げていくタイプの「コミュニケーション」を起点にしたやり方が一番好きだ。インスパイアベースとでもいったらいいだろうか。

他からの強制でなく、焦燥でもなく、インスパイアを起点として比較や相対を飛び越えて、ドライブしていくようなやり方が好みだ。

飲み会というと普通に飲んで、酔って終わりという使い方をしがちだが視点を変えればベストのトレーニング機会だと思う。飲みのカタチと相手をリンクさせ、相手を記憶に印象づけていく。その印象を起点に動的に相手を定位し、チャンネルをチューニングし、予測、イメージ、感情、リズム、身体感覚、それらを総合的に時間という幅を持つ場所、人、言葉にリンクさせていく。これで尺度にバリエーションをつくり、視点をパラレル化するのである。いつも同じような飲み方しかできないならその人の飲みの世界はひとつだ。ところが現実世界の方は本質的にはパラレルに存在し、めんどくさいので人はそこをひとつの尺度に落とし込もうと躍起になる。それが最初の違和やズレの発端になる。

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